芦花公園の徳富蘆花記念館

 明治時代の文豪として知られているのが徳富蘆花(とくとみ ろか 1868年12月8日-1927年9月18日)です。京王線の芦花公園駅の駅名も蘆花の旧居が公園になったことにちなんでいます。蘆花の没後、愛子婦人が東京都(当時は市)に寄付しました。自然石を使った蘆花の墓も母屋のすぐ近くにあります。
 蘆花の書いたものの中では、たぶん「不如帰」(ほととぎす)や「自然と人生」あたりがよく知られていると思います。蘆花は1907年に今の芦花公園に引っ越してきました。

みみずのたわごと

 芦花公園の近くに住んでいる方は、ぜひ一度、蘆花の「みみずのたはこと」を読んでみる事をおすすめします。旧仮名遣いだったり、ちょっと難しい漢字が出てくるので最初は読みづらいかもしれません。しかし、はるか明治の時代の芦花公園周辺のことが実によく描かれています。甲州街道を馬車が走り、京王線がやっと敷設されているころです。
 当時は千歳村字粕谷で、ほんとうに田舎でした。蘆花は訪ねてきた知人や友人を、現在の八幡神社の入り口にある杉の木のところまで送って行くのが常でした。その杉は「別れの杉」と呼ばれ、いまは2代目の杉の木になっています。当時は、ここから上北沢にある精神病院の都立松沢病院が見えたそうです。
 「みみずのたはこと」は蘆花が粕谷村に引っ越してきてからのことを綴った、今でいうとエッセー風のものですが、たしかこの中に「白い犬、黒い犬」だったか「黒い犬、白い犬」といったところがあったと思います。
 当時は犬の放し飼いが当たり前で、野良犬なども身近な存在でした。蘆花が身の回りに居た犬が死んでしまったことを、書いたんだったと思います。そんな身の回りの出来事の中に、当時の粕谷の様子が織りまぜられています。

芦花公園に隣接する八幡神社です。歴史のある神社で、蘆花が住んでいた頃からこの地にありました。当時は、雹(ひょう)から農作物を守る神社として知られていました
芦花公園に隣接する八幡神社です。歴史のある神社で、蘆花が住んでいた頃からこの地にありました。当時は、雹(ひょう)から農作物を守る神社として知られていました

 「みみずのたはこと」の中に登場する、神社や百姓家の中で、まだ現存するものが芦花公園のまわりにいくつか残っています。愛子夫人の墓の近くにある、当時の村の共同墓地などはほぼそのままの姿です。公園内の蘆花の母屋のほうにある「徳富蘆花記念館」ものぞいてみてください。蘆花の著作や遺品などが展示されています。
 蘆花は明治の時代に、尊敬するトルストイに会いにはるばる、馬車、船、鉄道を乗り継いでロシアまで出かけたりもしました。粕谷に来てからは、自らを「美的百姓」と呼んでいました。やはり「みみずのたはこと」の中だったと思いますが、近隣の百姓の畑に見事に作物が実るのに対し「余の蒔く種はことごとく地中に消えうせる」などと吹き出してしまうようなことも書かれています。
 徳富蘆花に興味をもたれた方に、おすすめの本が中野好夫さんの「蘆花徳富健次郎」です。現在では、残念ながら中古本しかありません。かなり長い(単行本では上中下刊)ですが、蘆花を描いた物の中では最良の書といえます。素晴らしい本なので、文庫化してくれませんかね。中野好夫さんは、シェークスピアやマークトゥエインなどの翻訳の第一人者としてよく知られています。
 数十年前に、中野好夫さんが芦花公園の蘆花の母屋で講演会をしたことがあります。たしか蘆花の命日にあたる9月18日だったと思います。小雨が降っていました。長時間、蘆花のことをさまざまな角度から語る中野さんの熱意と一声かけていただいたことに、すごく感動した覚えがあります。
「みみずのたはこと」は、岩波文庫から出ています。手軽に読める、青空文庫へのリンクを左側に貼っておきます。

【芦花公園の徳富蘆花記念館 Photo Guide】
蘆花恒春園の入り口です。奥に記念館と母屋があります
蘆花恒春園の入り口です。奥に記念館と母屋があります
京王線の芦花公園駅です。芦花公園まではバス利用が便利です
京王線の芦花公園駅です。芦花公園まではバス利用が便利です
蘆花が粕谷に来た100年目を記念して作られた石碑です
蘆花が粕谷に来た100年目を記念して作られた石碑です
芦花公園には、樹木が多く武蔵野の雰囲気が残ります
芦花公園には、樹木が多く武蔵野の雰囲気が残ります
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中央写真

蘆花の住んでいた藁葺の母屋です。蘆花が粕谷に住んでいた1923年の9月1日に関東大震災がありました。その時に、幸いにもたいした被害を受けませんでしたが、庭にあったお地蔵様が欠けてしまいました。それからは、「身代わり地蔵」と呼ばれ大切にされたそうです。現在でも、母屋の敷地にお地蔵様があります

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